2008年11月21日金曜日

友人Bの話~中学校編④

 Bの中学1年のときの話はもう少しある。Bも、この歳が一番いろいろなことがあったかもしれないと言っていたほどだ。
 今度は素行についての話である。Bは中学1,2年のときは生活態度の悪い生徒として扱われていた。中学1年のときと2年のときで事情は異なるようだ。2年のときのことは後にするとして、1年のときのことを書こう。
 Bと同じクラスには不良生徒ももちろんいた。その不良生徒とは、ゲームセンターで会ったりしていたので、意外にも多少親しかったようだ。そのような不良生徒と学校でも話をするようになったため、教師からは生活態度の悪い生徒だと思われていたようだ。また、B自身はもともと怠惰な性格であるため、いろいろなことをよく怠けていた。これも教師からそのような扱いを受ける原因となったのであろう。

 さて、Bの中学1年のときの出来事はあと1つとなった。それは中学1年の終わりごろの話である。Bは、所属していた部活動をやめ、実質的に帰宅部となったのである。
 Bは部活動は彼なりに一生懸命やっていた。だが、一緒に入部した小学校高学年以来の遊び仲間(今更であるが、ゲームの好きなほうをC、運動の苦手なほうをDとしよう)は部活動にはあまり熱心には取り組んでいなかった。また、他にも部活に参加しない生徒が何人かいた。
 その部活動の顧問もBに言わせるとおかしな人物というか、納得がいかなかったらしい。生徒に自分のマッサージをさせたりしていたらしい。そんな理不尽さを感じつつも、Bは部活動に参加していた。
 1年の冬、3学期の期末テストの前日、Bが部活動に嫌気がさした決定的な出来事があった。テストの前日だというのに、まもなく大会があるので集合するようにと連絡があった。Bは選手でもないただの1年生だったので、集まらなくてもいいと思った。また、成績も上がってきて普段は勉強していなかったものの、テストの前日にははりきって勉強するようになっていた。
 そこで、Bは早く帰って明日にひかえたテストの対策をしようと下校すべく昇降口へ向かった。そこに、顧問が待ち構えていたのであった。
 さすがに顧問を無視して帰ることはできなかった。Bは仕方なくミーティングに行くことになった。そのときはBは特に何も主張することはなかったが、Bはこの出来事で顧問や部活がすっかり嫌になってしまったのであった。とんだ邪魔が入ったものの、テストのほうは順調に成績をのばすことができた。

 後日のミーティングで、顧問は部活動にほとんど来ない生徒に退部するよう促した。Bは部活動には一応参加していたが、ほぼ退部が決定した生徒と一緒に顧問の後をついて職員室に行き、退部届けをもらったのであった。その中にはCはいたが、Dはいなかった。
 Bは思い切ったことをなんなくやる一面も持っていて、退部届けをあっさりと提出した。退部第一組となったのである。その後も顧問は部活動に来ない生徒を次々と退部させた。Dもほどなく退部することになった。その後続々と退部が続いたようだが、Bほど真面目に取り組んでいた者が退部することはなかった。

 こうしてBの中学1年は終わったのであった。

2008年11月20日木曜日

友人Bの話~中学校編③

 さて、ここからは少し横道にそれるかもしれないが、中学校に入ってBにとっていくつか変化があったので、書いておこうと思う。
 中学校になると、中間テストや期末テストで学年順位などが出るようになる。Bは私の東京帝大時代の友人であるから、もちろんそれなりの成績を残してきた。
 Bから言わせると、はじめはたいしたことはなく、学力の低い中学で順位も2桁だったらしい。しかし、最初に期末テストの結果が出たとき、教師やクラスメイトのBへの見方が大きく変わったのは事実であった。それまでBは何もできない劣等生だとして扱われていたのだから。
 それからBは特に何かをしたわけではなかったが、着々と成績を上げていった。一年生の終わりには学年で5傑に定着するようになった。しかし、上位2名は当時は突出した存在であったようで、Bは中学2年まではその2人に勝つことはなかった。また、その上位2名は運動能力にも長け、生活態度も模範的であったので、教師からの評価はその2名のほうが圧倒的に高かった。Bは少し勉強ができる生意気な生徒であったのだろう。
 
 もうひとつ大きな変化があった。Bは奥手であったが、異性に対して興奮を覚えるようになったのである。それまでも女子に好意を持つことは何度かあったが、それとは全く別な性的興奮である。同じクラスのあまり顔は整ってはいないが、発育の早いZ(女子についてはZからはじめ、Y、X、W・・・とする)に対して特に興奮したようだ。授業中もZのほうを見ては股間を膨らませていたようである。ちなみにZに対しては性的な興味以外の感情は抱かなかったようである。Bは今後しばらくの間、このように好意と性的興奮を完全に分離していたようである。
 そして、クラスメイトから自慰行為の仕方を教えてもらい、自慰行為もするようになった。といっても、他の生徒のように本やビデオを使うことはなかった。妄想にふけっていたのであった。その対象がZであったことは言うまでもない。

2008年11月19日水曜日

物語の途中ですが②

 既にお知らせしたとおり、ここは回想録が中心となるので、中学校編でいったん終わる必要もなくなりました。他の話題は友人Bの話が終わったら、もしくは合間でも、ヌースリールのヌースを多少取り上げるくらいでしょうね。
 ということで、当面は1日1回友人Bの話を書こうかと思います。

物語の途中ですが

ブログを整理することになりましたので、お知らせいたします。

4つ体制で行きます。それぞれのネタふりは

東大卒ニートばいお日記(DTI)
コメント回答中心
http://baionaneet.24.dtiblog.com/

東大卒ニートばいお日記 Blogger支店
回想録(ランキング登録なし)
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東大卒ニートばいお日記 FC2支店
鉄、馬、アイドルなどのマターリした話題
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新東大卒ニートばいお日記
東大氏ね、就活氏ね、バイオ氏ね
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ブログの乱立でまんどくさかった人も多いでしょう。すまそ
これからも東大卒ニート、ばいおをよろしくお願いします。

2008年11月18日火曜日

友人Bの話~中学校編②

 まことに勝手ながら、友人Bの話シリーズは中学校でいったん切ろうと思います。といっても、中学校編自体がまだかなり書くことはありますが。ということで

 Bにとって中学時代、特に1,2年の時期はその後のBの人生を大きく左右することになる。中学1年でBは大きく変化する。今までは、スポーツが得意な少年達の仲間に無理に入ろうとしていたが、一転Bは「変わり者」路線へと大転換する。Bの中学校は不良生徒が多く、いじめられる危険性の高い学校であった。中にはその中学校を避けて他の中学校に行く生徒もいたくらいである。
 いじめられない方法は二つあった。一つはどこかの集団に属して、自己の存在を消すことであった。もう一つは、変わり者となり、人間関係を一切断ち切ることであった。もちろんBは意識的に後者を選んだわけではないが、中学校入学当初、いじめられやすかったBは、無意識のうちに生き残る方法をとったのであろう。
 Bはいつも奇妙な姿勢や歩き方をした。また、奇声をあげたりもした。周りの生徒からは、変わり者として面白がられた。だが、もちろん友達になろうと近づいてくるものなどいなかった。
 また、Bは徐々に部活を休み、ゲームセンターに行くようになった。ゲームセンターに行くことはBの中学校では禁止されていたが、他の中学校とはくらべものにならないくらい多くの生徒がゲームセンターに通っていた。ゲームが好きな自堕落な生徒と、不良生徒が多かった。だが、不思議とゲームセンターではどんな生徒もお互い同じように接していた。Bもその中の1人であった。ちなみにBがゲームセンターへ行くようになったのは、一緒に部活に入ったゲームが好きな少年の影響であった。

2008年11月16日日曜日

友人Bの話~中学校編

 Bは近くの中学校に入学した。同じ小学校からもかなりの人数が入学していたが、小学校のとき同じクラスでまた同じクラスになったのは1人だった。その生徒とはそれほど親しくもなかった。同じクラスには、小学校のとき同じクラスだったスポーツ少年達(手先となってBをいじめたが、その後はBと仲良くしていた)と同じスポーツ少年団にいた生徒が数名いて、Bも一緒にサッカーをしたことなどがあるので、その生徒達にくっついて行動した。
 まず、Bを驚かせたのは、他の小学校から来た生徒達が、異性について知識が豊富で、成人向け雑誌などを学校に持ってきていたことだ。実はそのような生徒は多くはなかったのだが、Bはたまたまそういう生徒と話すことになった。それは、Bがくっついていた生徒達が異性について詳しい生徒達と早く打ち解けたからであった。Bは後ろから、異性についての話しを興味深く聞いていた。もちろん詳しいといっても、実際に異性と交際したことがある生徒はいなかったのだが。
 入学当初は放課後は小学校の時同じクラスだった生徒を待ち、一緒に帰宅していた。そのうちに、中学校であるので、どこか部活動に所属しないといけないということで、どこにするか話し合っていた。Bが放課後一緒に帰宅していたのは主に2人だった。ひとりはゲームの好きな生徒で運動もそこそこ得意、もう1人はBと同じで運動が苦手であった。しかし、Bの中学校では文化部は軽蔑されていたので、文化部に入るという考えはなかった。結局、かなり激しいが、やったことのない競技の部に入部した。これはゲームとスポーツが好きな生徒が選んだもので、Bともう1人はどの部にも入りたくなかったので、真似ただけであった。
 厳しい練習であったが、Bは毎日部活に行った。同じクラスで同じ部活だった生徒とも親しくなった。一緒に入部した2人は、あまり練習に来なかったが、同じクラスの生徒が練習熱心だったため、Bはそちらの生徒達と一緒に部活に励んだ。
 しかし、それと同時に、Bはあからさまないじめではなかったが、同じクラスにいたはじめ一緒に行動していた生徒達からたびたび暴力を受けるようになった。同じ部活動の生徒からも暴力を受けた。小学校5年の時のようなものではなく、部活動のときなどは一緒に懸命に練習をしていて、仲間意識のようなものがあったので、それほど苦痛ではなかった。だが、小学5年から中学1年あたりのBは明らかにいじめられやすい傾向にあった。
 たまに辛いと思うこともあったが、そのような学校生活をBは一年間続けるのであった。

2008年11月15日土曜日

友人Bの話~小学校高学年編②

 さて、いじめが解決してからも、Bは普通の子供になれるわけはなかった。まず、Aとの冷戦がはじまった。どちらが最初に仕掛けたかわからないが(おそらくBだろう)、陰で嫌がらせをするようになった。それは次第に消えていったが、他にもBは問題行動を時折起こしたのであった。クラスで飼っていたメダカは2度も死なせた。
 授業では、以前のような優等生に戻ろうと積極的に参加した。しかし、数ヶ月その状態が続いたが、ある日、担任が好みの女子生徒ばかりに発言させるのが気に食わなく、「俺にやらせろ」と言った。これはBの素直な気持ちであった。悪気はなかった。しかし、担任は逆上した。その出来事以降、Bは再び授業を聞かなくなった。担任にも反抗したり、担任がいないときに教室に置いてあった担任の私物にいたずらをしたりした。
 このように歪んではいたが、クラスではかろうじて孤立することはなく、小学校を卒業した。もっとも、他の子供が休みの日にプールに行くといったようなことには一切誘われなかったが。やはり、Bは疎まれていたのだろう。

友人Bの話~小学校高学年編

 一般的には3年生になるときと、5年生になるときにクラス替えがありますが、Bの学年では、3クラスと4クラスのちょうど境界の人数の120人前後であったので、クラス数が変更になるときにクラス替えがあった。低学年編では書かなかったが、2年生になるときにクラス替えがあり、今度は4年生になるときにクラス替えがあったのだ。4年生でのクラス替えで、Bは友人達と離れることになった。そして孤立した。
 4年生の担任はベテランの女性教師だったが、頭のかたいところがあり、たまに突飛な行動に出るBはあまりよく思われていなかった。1人呼び出されたおこられることも何度かあった。
 Bは、何を思ったか、クラスでもスポーツが得意な子供たちと遊ぶようになった。B自身は運動は苦手であった。なぜBがそのような子供たちと遊ぶようになったかは、B自身もわからないようである。
 その中に、クラスで最も走るのが速いAという少年もいた。Aはスポーツが得意な子供の集団の中では地味な存在であった。このAという少年は、のちにBの人生に大きな影響を与えることになる。
 さて、担任との相性が悪かったこともあり、Bの授業態度は一気に悪くなった。といっても、ぼーっとしているだけであるが。Aとは席も近く、担任が嫌いという点で気が合い、次第に仲良くなった。4年生は明らかになじまないグループにいたものの、無難に終わった。
 5年生で担任が変わった。新人の男性教師であった。この男性教師は明らかに小児性愛の傾向があった。また、根暗で非現実的なこともよく言っていた。
 この5年生の一学期に、Bの人生を方向付ける大きな事件があった。いじめである。
 いじめの主犯はAであった。内容としては小学校5年生ということもあり、暴力や小遣いと取られるといったそれほど悪質なものではなかった。主犯がAで、その支持をスポーツが得意な子供たちが聞き、Bに乱暴するというものであった。
 Bは最初は耐えたが、その影響で他の学校生活でも問題行動が多くなった。担任に暴言を吐いたり、他の子供たちとけんかをするようになった。また、いじめグループとともに、今で言う学級崩壊のようなことも起こした。周りから見ればBがいじめられてるというようには見えず、Bも問題行動を起こすグループの1人と見られていた。むしろ、実行犯はBであり、Bは1人でも問題行動を起こしたので、Bが一番の問題児であると見られていた。
 Bはいじめに耐えかねて、母親に泣きながら全てを話した。それで夏休みにはB、Bの母親、A、Aの母親、その他に関わった子供たち、担任、学年長などで話し合いが行われ、解決した。といっても、BはAだけは許さなかった。AとAの母親に謝られたものの、結局許すことはなかった。
 2学期からは、BはA以外の子供とはもとの仲にもどり、遊ぶようになっていた。また、他のクラスメートとも遊ぶようになった。当時はミニ四駆が流行っていて、いろいろな子供たちと競争した。Bは一学期は小遣いをほとんど取られたので1人ミニ四駆を持っていなかったが、夏休みに祖父母からもらったお金でミニ四駆を購入し、他の子供と一緒に改造や競争を楽しむようになった。
 長くなったので、ここで一度記事を閉じようを思う。

友人Bの話~小学校低学年編

 Bは小学校に入学する際、父親が転勤になったので、引っ越すことになった。それまで住んでいた町よりも田舎じみたところで、住宅地ではあるものの近所に田畑が存在していて、Bは田舎に引っ越したのだと感じたようだ。
 さて、Bの小学校生活だが、他の子供はクラスに数人は同じ幼稚園、保育園から来ている子供がいたので、同じところから来た子供同士が遊んでいたようである。Bは引っ越してきたばかりで当然同じ幼稚園から来た子供はおらず、やはり孤立した。時期は子供の性格も特徴が強くは出ないので、近くの席の子供とは話していた。1年生のときの担任は年配の女性であった。字が上手く、規律を重んじる教師であった。
 この時期はBは特に問題行動は起こさなかったし、むしろ毎回挙手をして積極的に発言するなど、地味ではあるが優等生に近い存在であった。
 遊び相手は、ほとんどが近所の子供であった。幼児から5,6年生までいた。姉とともにその輪の中に入っていこうとした。しかし、やはり孤立した。このときBと同じ年の子供が1人いた。同学年ということで、一緒に行動することは多かったが、騙されることもしばしばあった。その子供がBに、他の近所の子供をやっつけようなどと持ちかけ、Bはその気になったが、実はそれは罠であり、Bだけが悪者になるということもあった。とにかく、Bは孤立していたのであった。その子供への怒りがおさまらなかったBは、学校では隣のクラスであったその子供に文句を言うために隣のクラスに侵入することもあった。Bのいた小学校では、他のクラスに入ることはほとんどなかったので、侵入したクラスでは、そのクラスの子供たちから集中砲火をあびたりもした。
 2年生の時の担任はちょうど母親のような年代のやさしい女性教師であった。ここでもBは積極的に発言し、どちらかと言えば模範的な児童だった。2年生のときはほぼ何もなく過ごせた。ただ、2年生の時毎日日記を書いて担任に提出するという宿題があったが、それには全く手をつけなかった。書くことが思いつかなかったのである。
 3年生の時の担任は、父親より少し若い男性であった。Bには当時人格者に見え、尊敬していた。だが、後になってわかったのであるが、この教師は左巻きであった。この時期、Bは同じクラスに友人が数名できた。おそらくBの生涯でもっとも友人らしい友人であっただろう。Bはよくその友人達と遊んでいた。近所の子供とは遊ばなくなった。Bが普通の子供であったのはこの時期だけである。ただ、その友人達には多少煙たがられていたかもしれない。
 また、授業に対する姿勢も徐々に消極的なものになっていった。徐々に発言の回数は減っていった。しかし、特に問題のある行動はなかった。

2008年11月14日金曜日

友人Bの話~幼稚園編

 Bは家の近くにある幼稚園に入園した。このころから、Bの行動は他の子供とは違ってくる。まず、入園当初、Bは幼稚園に行くことを拒絶した。母親が教室まで連れて行くが、それでも帰ろうと泣きわめいた。もちろんそのようなことをしたのはBだけである。
 幼稚園にも休み時間はあった、休み時間、Bは孤立していた。しかし、それはBにとっては自然なことであり、他の子供が遊んでいるのを冷めた目で見ていた。次第にBは園庭の裏のほうによく行くようになっていた。そこには、年長の園児が数名いた。Bは因縁をつけられた。Bは泣いた。しかし、来る日も来る日もその場所に行くのであった。すると年長の園児が来て、やはり泣かされたのであった。しかし、Bはその場所に1人で足を運ぶのであった。おそらくBにとってはそのような人目につかない場所というのが居心地がよかったのであろう。
 やがて送り迎えなどを待つ母親同士が知り合い、Bの母親もその中に入っていたので、Bも家が近い園児と遊ぶようになった。特に、家が近所で立派な家に住んでいた子供と仲良くなった。その子供は祖父が会社を経営しており裕福であったが、Bと同じように友人が少なかった。その子供はファミコンソフトやカードダスをたくさん持っていた。その子供の家に行くと、その子供の祖父母や母親が優しく迎えてくれ、遊ぶものもたくさんあったので、Bはその子供の家によく遊びに行くようになった。そして、その子供と家の中でいろいろなおもちゃで遊んだ。
 Bの幼稚園時代の大きな事件はもうひとつある。Bが年長組のときの運動会での出来事であった。年長組ではリレー競争があった。年長組だけがやる種目とあって、人気も一番だった。当然子供たちも一番はりきっていた。Bも練習のときははりきっていた。
 ところが運動会当日、リレー競争の直前になり、Bはリレー競争への出場を突如拒絶したのであった。両親も先生も参加するように促したが、結局参加することはなかった。Bは足が遅いことを他の園児から言われそのような行動に出たと母親に言ったが、真相は定かではない。
 その他に、ハンコでひらがなの作文を作るということも幼稚園でやりました。何回かやったのですが、Bはほとんど形にすることができませんでした。しかし、一度だけ形にすることができたのです。今まで何も書けなかったのが嘘のように。
 他にも、Bの行動はこのとき既に奇妙であったようです。

友人Bの話~幼稚園に入園するまで

 Bは東北地方の都市に生まれた。家庭は両親と姉の4人であった。その都市は今は合併によってなくなっているが、便利なところであった。まあ、Bは結局小学校に入学する際にその都市を離れてしまうので、彼の記憶にはその都市はほとんど残っていない。
 さて、Bの乳児期であるが、生まれながらに病弱であった。そのため母親はいつもBにつきっきりであった。やや過保護ではあったものの、母親はBに精一杯愛情を注ぎ、Bも母親のことが大好きであった。Bは一度病気で長期入院した。それもあまり彼の記憶には残っていないようだ。ただ、いつも病院に行っていたので、担当医や看護師にもすっかり覚えられ、かわいがられていた。
 Bの幼稚園入園以前の同世代の子供とのかかわりは、ほとんどが母の知人の子供であった。また、隣の家にも同世代の子供が住んでいた。一応遊ぶには遊んでいたようだが、仲間はずれになったり、ケンカになって負けて泣くことも多かったようだ。隣の子供ともたまにケンカをしたが、隣の子供もわがままであったので、隣の子供のほうに問題があると考えられていた。しかし、一般的な人と違うのはBのようである。Bが正常な人間関係を築けないのは生まれつきであったと考えられる。

2008年11月13日木曜日

ヌースリールのヌース

ひきこもり対策 県が検討会設置へ 相談件数 2年で4倍

http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/20081112/CK2008111202000132.html

 ひきこもり対策を検討するため、県は本年度中に、関係部局や支援に取り組む民間団体を交えた検討会を立ち上げる方針を固めた。県の窓口へのひきこもりの相談は増加傾向にあり、検討会では現状や社会復帰に向けた課題を整理し、関係機関の連携強化に向けた総合的な施策を協議する。

何度も言っているように、大部分のニートは好きでニートやっているわけじゃないんです。まずは働く場所がないと話しにならない。生活保護のほうがもらえるとか、3年以内に3割やめるとか、うつ病になりまくるとか言われるようなとこでなんか働く気になれるわけがない。まず十分な量のまっとうな雇用がなければいけない。
あと、就職におけるリア充至上主義や新卒のみ応募可というのも問題がある。だからニートはいつまでも働けない。

ニート、5年で半減も金融危機が改善に冷や水

http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20081107AT1G2800M06112008.html

 ここ数年、売り手優位の就職戦線を背景に、ニートやフリーターは大幅な減少が続いてきた。しかしこの秋の世界的な金融危機はその改善の動きに冷や水を浴びせかねない。

 文部科学省によると、2003年度には大卒者の22.5%に当たる約12万2000人が進学も就職もせずにニートとなっていた。フリーターになった人も4.6%に当たる約2万5000人いた。(07:00)


これは誤報としか言えない。
>2003年度には大卒者の22.5%に当たる約12万2000人が進学も就職もせずにニートとなっていた。フリーターになった人も4.6%に当たる約2万5000人いた

つまり、新たにニートになる人が12万2000人から2万5000人に減った。増加量は減っているけど、増加しているのには変わりはない。
ニートが減ったなんて誤報です。ニートは増え続けています。2003年にニートになった12万2000人のうち、その後ちゃんと働くようになった人なんてほとんどいないでしょうし。
(ニートから脱出した人の人数)>(新たにニートになった人の人数)とならないと、ニートが減ったとは言えません。さらに、ニートになるのは就職できなかった学生のみならず、リストラ、うつ病などで失業した人もいます。

ヌース三連発

強豪テニス部で暴行、骨折=傷害容疑で部員ら送検へ-福岡・柳川高
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081113-00000063-jij-soci

 高校テニスの強豪として知られる福岡県の私立柳川高校(柳川市)の寮で4-6月、テニス部の1年生の男子生徒が上級生らから暴行を受け、鼻の骨を折るなどのけがを負っていたことが13日分かった。県警柳川署は生徒の親からの被害届を受け、近く複数のテニス部員を傷害などの容疑で書類送検する方針。

毎度あり! いや、さすがスポーツ選手は期待に応えてくれます。これでまたスポーツを否定できますw
やはり体を動かすこと、暴れること、戦うことが好きな人は、暴力も大好きなのでしょうね。

服の上からでも条例違反=女性隠し撮りで有罪-最高裁

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081113-00000048-jij-soci

 ズボンをはいた女性の尻を隠し撮りした行為が迷惑防止条例違反罪に当たるかが争われた刑事裁判の上告審決定で、最高裁第3小法廷(藤田宙靖裁判長)は10日付で、服の上からの撮影でも条例違反になるとの初判断を示し、二審で逆転有罪とされた自衛官の男(31)の上告を棄却した。

自衛官wwwwwww
自衛官の採用もリア充至上主義なんですかね? まあ、自衛官も鍛錬に励んでいるのでスポーツマンのようなもんです。その影響もあるのかな。

しかし、このヌースは考えさせられます。勝手に撮影したので、肖像権がとかいうならまだわかります。しかし、見えるものを撮影しただけで猥褻だというのは。そのうち見ただけで猥褻だとか言われそうです。逆に見たくもないのに腹とか背中出してるネーチャンとかもいますし。なんか無茶苦茶ですお。

<麻生首相>漢字は苦手? 頻繁に読み間違い

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081113-00000001-maiall-pol

◇頻繁(ひんぱん)→はんざつ/踏襲(とうしゅう)→ふしゅう

 国会答弁やあいさつで、麻生太郎首相の漢字の読み間違いが目立っている。12日に母校の学習院大学で行われた日中交流行事のあいさつで、用意された原稿では日中首脳会談に関し「1年のうちにこれだけ頻繁に首脳が往来したのは過去に例がない」とあったが、「頻繁(ひんぱん)」を「はんざつ」と読み誤った。

 7日の参院本会議では、政府が過去のアジア諸国への侵略行為を謝罪した「村山談話」を「踏襲(とうしゅう)」と言うべきところを「ふしゅう」と答弁した。

 首相は12日夜、記者団から「読み間違いが多いという印象がある」と指摘され、「そうですか。単なる読み間違い」と答えた。【塙和也】


これはバイオ脳の俺よりひどいwww
アフォ総理としては安倍元首相が有名でしたが、麻生総理も大学は学習院でしたっけか。まあ、出身大学で漢字が読めるかが決まるわけではありませんけど。
ちなみに記者の人の苗字は「塙」。おお!カンで入力して変換したらでてきた。「はなわ」です。タレントのはなわは塙って苗字らしいですね。

2008年11月9日日曜日

ヌースリールのヌースを叩く

まあ、ここで見所があるとしたらヌースリールくらいですね。ご覧のようなキーワードを設定しています。それぞれのキーワードをクリックすると、それぞれのキーワードに関連したヌースが出てきます。

で、フリーターをぽちっとしたんだお

フリーター・既卒・第二新卒のための『自信がみなぎる面接成功セミナー』開催!

http://www.news2u.net/NRR200839379.html
フリーター・既卒・第二新卒者を専門に就職支援をしている株式会社ジェイック(東京・千代田区、佐藤剛志社長、電話03-5282-7600  公式サイト:http://www.naitei-get.com )では、ハローワークなど厚生労働省関連の施設で活躍中の人気講師を招いて「就活応援セミナー」シリーズを開講しています。

ヌースじゃなく、変な宣伝じゃまいのか?

で、ちょっと気になったのが

ハローワークなど厚生労働省関連の施設で活躍中の人気講師を招いて

人気講師・・・

まあ、私も変な就職講師みたいな人の話を聞いたことがあります。
結論から言うと

この手の講師はクソ

ということです。

面接はこう答えろ、ESはこう書け、自己PRはコムヌケーソンのうろぐって言えってな感じです。R社の手先かなにがでしょうかね。
ハロワに行く人間に通じる方法じゃないんですよね。でもヤンハロとかではR社方式のやり方をオヌヌメしてます。ニートは余計に苦しむわけです。

2008年11月6日木曜日

ここでははじめてコメントに答えるお( ^ω^)

無理にコメントを催促しましたが、それでもやさしい人がコメントを書いてくれました。ありがとうございます。

1つ目
ひとつのブログに集約したほうが、見る手間が省けて良いかもしれません

2つ目
Bloggerって慣れていない人にはコメントの投稿方法がいまいちわからないんですよね。

画像解説入りでコメント投稿方法を説明してくださると、コメント数も増えると思いますよ


はい、やはりここのブログは中止のほうがいいようですね。にほんブログ村でブログが3つまで登録できるので、ここも登録していたわけです。しかし、いちいち見に来るのはマンドクサイでしょうし、投稿がわかりにくければ、こちらも記事の編集がしにくかったりします。DTIとFC2の2つに削減しましょうかね。鉄ネタや就活ネタもそちらに書きましょうかね。

たまにここに来てランキングに投票していただけると、鉄ネタや就活ネタのランキングでも上位にいけるのでいいですね。まあ、現在ブログ村に登録してある9部門をなんとか6部門に削減すればいいわけですが。サプリメントなんかは登録しなくていいですしね。登録しなくていい部門を形だけここに登録しておきましょうかね。
間違えて投稿してしまったのですが、どうやって消せばいいんですかねえ

これで本当に日本オワタ\(^o^)/

トヨタが3月期予想を下方修正、市場予測も下回る

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/economy/toyota/?1225953980

[東京 6日 ロイター] トヨタ自動車<7203.T>は6日、2009年3月期の営業利益(米国会計基準)予想を前年比73.6%減の6000億円に下方修正すると発表した。従来予想の1兆6000億円に比べ、62.5%の下方修正となる。(ロイター)

ええと、つまり約4分の3ダウンってことは、利益が4分の1になったっけことでしょうか? バイオは数字に弱いのでよくわかりませんが、本当だとしたら大変ですね。生産から販売まで4分の3はイラネってことになってしまうんですから。しかもこれが一番でかいトヨタで。

まあ、私はトヨタに食わせてもらっているわけではないのでどうでもいいですけど、愛知県のあたりでは大変でしょうね。

コメントないっすね

 コメントは匿名でも投稿できるようにしてるんですが、それでも投稿がないですね^^;
FC2支店のほうに統合しようかな。あっちは少しはコメントが来てますし。
見てくださっている方は少しはいるようですね。本拠地には遠く及ばない数ですけど。

2008年11月3日月曜日

スポーツマンシップ(笑)

まずニュース記事から

浦和、愛媛に雪辱果たすも…ブーイングに闘莉王がブチ切れ/天皇杯

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081103-00000519-sanspo-socc

第88回天皇杯全日本サッカー選手権4回戦(3日、浦和1-0愛媛FC、駒場)Jリーグ1部(J1)の浦和は、高原、阿部を温存するもほぼベストメンバーでJリーグ2部(J2)の愛媛FCと対戦。1-0と辛勝し、昨年の悪夢を払拭した。

 浦和は互いに無得点の延長前半5分に田中マルクス闘莉王が倒されて得たPKをポンテが落ち着いて決めた。

【写真で見る】 細貝萌、一発退場の瞬間!

 愛媛になんとか勝利した浦和だが、延長前半12分、細貝萌が愛媛FC・金守智哉からのチャージにカッとなり金守を押し倒し一発退場。さらに試合後にはサポーターの一部から起こったブーイングに、田中マルクス闘莉王がたまらず詰め寄り言い合いをするなど後味の悪さを残した。

 愛媛は昨年、天皇杯3連覇を狙った浦和を0-2で下す波乱を起こし、浦和・エンゲルス監督は「鹿島のようなこともある。うちはそうならないようにしないといけない」と一発勝負の怖さを強調していた。


スポーツ選手はDQNが多いのではないか
基本的に暴れるのが好きな人たちがスポーツをするんでしょう。だから、スポーツ選手および運動経験の多い人はDQNが多い。よくスポーツマンシップとか言って、運動選手は礼儀正しいとか言われますが、そんなことはないのではないでしょうか。
あとは、運動選手はチヤホヤされます。これは、まだ人間が強い者に憧れる性質を持っているからでしょう。そして、チヤホヤされれば調子にのる。このこともスポーツ選手とDQNにしている一因ではないでしょうか。

結論
スポーツマンシップ=DQN精神

2008年11月2日日曜日

息をするのもめんどくさいとはよく言ったものです

 ここ2,3日、ブログを書くのもまんどくさいです。いや、こういう軽い記事ならいいんですけどね。ブログの設定とかいじったりするのがまんどくさいです。

 FC2支店を開設して、整備しようとしてるんですけど、なかなか進みません。

 FC2支店はこちらです
 http://baionaneet800.blog57.fc2.com/ 

2008年11月1日土曜日

ワンマンカーの乗り方

 私は田舎に住んでますので、電車でもワンマンカーというのがよく走っています。さらに、乗車駅、降車駅も無人というケースも多い。では、どうやって料金を徴収しているかと言うと、料金定額じゃない乗り合いバスを思い浮かべてもらうといいでしょう。
 だいたいが2両編成で、乗るのは1両目の後ろのドア、降りるのは一番前のドアで、運転士に切符や運賃を渡します。後ろの車両は有人駅でしかドア開きません。
 地元民で、しょっちゅう利用するような人が、案外わかってない場合が多いんですよ。で、乗車口からおりたり、降車口以外のドアを開けようとする。もちろん開かない。乗車口が開くのは、乗車する人が開けるから。
 それなのにわかってないやつは、開かないドアから降りようとしたりする。運転士が前まで来てくださいという、それから前に動き始める。そんな光景がよく見られます。そんなことをやってると、電車が遅れてしまうんですよ。まったく迷惑な話です。電車にも乗れないのかよ。
 あと、乗り方はわかっているものの、電車が停車してから後ろのほうで立って降車口に行く人も多い。
 これも遅れの原因となる。都会の場合ドアはすぐしまってしまうから、みんなすぐ降りるんですけどね。
ほんと、どうにかしてほしいですよ。

企業は犯罪者予備軍を求めている

ちょっと古いニュースですが

新銀行東京:元行員らが不正融資 詐欺容疑で7人逮捕

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20081028k0000m040019000c.html?inb=yt

新銀行東京(本店・東京都新宿区)に営業実態のない会社の決算報告書などを改ざんして提出し、約5000万円を不正に融資させたとして、警視庁捜査2課は27日、東京都町田市金森、新銀行東京池袋出張所の元男性契約社員、青木千代美容疑者(56)と融資先関係者ら計7人を詐欺容疑で逮捕した。青木容疑者は在籍した約1年間で約100社23億円の融資を担当。うち十数社分が焦げ付いているといい、捜査2課は他にも不正融資に関与しているとみて追及する。【杉本修作、酒井祥宏、山本太一】

 にしても、新銀行東京とか、首都大学東京とか変な名前ですよね。なんであんなのが知事になれるのか。結局、選挙で当選するのなんてタレントですからね。私の尊敬するドクター中松先生のほうがいいのではw

 そして、新銀行東京も首都大学東京も戦略が滅茶苦茶だと素人ながら思います。

 新銀行東京はほぼ審査なしで融資をして不良債権を出しまくったんでしたっけか。これと同じことをやっているのが日本学生支援機構です。日本学生支援機構の場合、管轄は文部科学省です。こちらの場合は無審査以上に問題があります。文部科学省はニートになるような学校を作りまくってそこに通う学生に金を貸しています。もちろん、回収不能となる場合が多い。回収不能の原因を自らが作ってる。
 例えば、商工中金のような経営指南と融資を両方行う金融機関があったとして、儲かりっこないやり方を指南して、会社が儲からない、不良債権になってしまった。こう言っているのと一緒です。

 首都大学東京については、完全なオナニート志向です。あの都知事が西澤潤一を学長に迎えたのですからもう大変なことになってるのではないでしょうか。
 西澤氏は本人は素晴しい業績を残しておりますが、東北大学時代はブラック研究室として有名だったとか。自身の専門はオナニートではありませんが、思想はオナニートです。
 それから、前任の岩手県立大学でも設立に関わりましたが、岩手県立大学も、看護、社会福祉、総合政策、ソフトウェア情報という学部からなっています。社会福祉と総合政策はオナニートですし、ソフトウェアにしても、地方にこのような学部を作っても、大手のソフトウェア会社が搾取する人員を求めるだけ。流行のブラックIT送りとなります。
 そして現在も首都大学東京も

都市教養学部
都市環境学部
システムデザイン学部
健康福祉学部

というわけのわからないオナニート臭のする学部ばかり。国立大学に比べ、公立大学はその地域の産業を活性化させるという目的があるぶんオナニートになってはいけないと思うんですけどね。

 話はそれましたが、企業はセックスと酒の大好きな犯罪者予備軍を求めています。私のような清廉潔白でやましいところなど一切ない人間は受け入れられないようですね。不正を内部告発でもされたら大変とかそんなとこでしょうかね。