Bは小学校に入学する際、父親が転勤になったので、引っ越すことになった。それまで住んでいた町よりも田舎じみたところで、住宅地ではあるものの近所に田畑が存在していて、Bは田舎に引っ越したのだと感じたようだ。
さて、Bの小学校生活だが、他の子供はクラスに数人は同じ幼稚園、保育園から来ている子供がいたので、同じところから来た子供同士が遊んでいたようである。Bは引っ越してきたばかりで当然同じ幼稚園から来た子供はおらず、やはり孤立した。時期は子供の性格も特徴が強くは出ないので、近くの席の子供とは話していた。1年生のときの担任は年配の女性であった。字が上手く、規律を重んじる教師であった。
この時期はBは特に問題行動は起こさなかったし、むしろ毎回挙手をして積極的に発言するなど、地味ではあるが優等生に近い存在であった。
遊び相手は、ほとんどが近所の子供であった。幼児から5,6年生までいた。姉とともにその輪の中に入っていこうとした。しかし、やはり孤立した。このときBと同じ年の子供が1人いた。同学年ということで、一緒に行動することは多かったが、騙されることもしばしばあった。その子供がBに、他の近所の子供をやっつけようなどと持ちかけ、Bはその気になったが、実はそれは罠であり、Bだけが悪者になるということもあった。とにかく、Bは孤立していたのであった。その子供への怒りがおさまらなかったBは、学校では隣のクラスであったその子供に文句を言うために隣のクラスに侵入することもあった。Bのいた小学校では、他のクラスに入ることはほとんどなかったので、侵入したクラスでは、そのクラスの子供たちから集中砲火をあびたりもした。
2年生の時の担任はちょうど母親のような年代のやさしい女性教師であった。ここでもBは積極的に発言し、どちらかと言えば模範的な児童だった。2年生のときはほぼ何もなく過ごせた。ただ、2年生の時毎日日記を書いて担任に提出するという宿題があったが、それには全く手をつけなかった。書くことが思いつかなかったのである。
3年生の時の担任は、父親より少し若い男性であった。Bには当時人格者に見え、尊敬していた。だが、後になってわかったのであるが、この教師は左巻きであった。この時期、Bは同じクラスに友人が数名できた。おそらくBの生涯でもっとも友人らしい友人であっただろう。Bはよくその友人達と遊んでいた。近所の子供とは遊ばなくなった。Bが普通の子供であったのはこの時期だけである。ただ、その友人達には多少煙たがられていたかもしれない。
また、授業に対する姿勢も徐々に消極的なものになっていった。徐々に発言の回数は減っていった。しかし、特に問題のある行動はなかった。
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