2008年12月7日日曜日

友人Bの話~中学校編⑤

 Bが中学2年生になるとき、クラス替えがあった。Bは一緒にゲームセンターに行っていた不良生徒たちとは別なクラスになった。また、Cが同じクラスであった。担任は体育の女性教師であった。そして、Bにとってある意味で一番衝撃的だったことは、Zが転校したことであった。Bはこの時期は普通の生徒同様異性に敏感な時期であったので、妄想の対象は他の生徒になった。
 さて、学校生活であるが、成績は常に学年で5傑に入っていた。といっても、2人突出した存在がいたため、3番手から5番手であったようである。そして、部活動もなくなったので、放課後はゲームセンターに行ったり、家でゲームをする生活であった。ゲームセンターには、特に約束はしていなくても、誰かしら同じ学校の生徒がいて、言葉をかわすことはあったようだ。特にCはいつもゲームセンターにいた。
 しかし、不良生徒と一緒に行動しなくなり、生活態度も改善されたBであったが、なぜか担任教師には目をつけられてしまった。しばしば叱責とも言えないほとんど暴言のような言葉をあびせられた。Bはいつも冷静にただ「はい」とつぶやくだけであった。
 この女性教師とBの対立は2学期まで続いた。また、Bは学校行事には熱心に参加せず、学校行事のときは孤立してしまうのであった。特に文化祭で孤立していたようであった。このように孤立していると、女性教師のターゲットとなり、Bは何度も叱責を受けた。明らかにこの教師はBを目の敵にしていたようである。生活態度の悪い生徒よりもBのほうが怒鳴られることが多かったようだ。また、三者面談でも、この担任教師はBとBの母親に向かって文句を言い続けた。BだけでなくBの母親も不快であったようだ。あまりにひどかったので、Bの母親も担任教師がBを目の敵にしているとわかったようだ。
 さて、この担任教師との対立であるが、思わぬ形で突然終焉を迎えることになった。担任教師が妊娠し、産休に入ったのである。Bはそのとき一安心した。しかし、同じような、いや、さらにひどい事態がBを待っていたのであった。

2008年11月21日金曜日

友人Bの話~中学校編④

 Bの中学1年のときの話はもう少しある。Bも、この歳が一番いろいろなことがあったかもしれないと言っていたほどだ。
 今度は素行についての話である。Bは中学1,2年のときは生活態度の悪い生徒として扱われていた。中学1年のときと2年のときで事情は異なるようだ。2年のときのことは後にするとして、1年のときのことを書こう。
 Bと同じクラスには不良生徒ももちろんいた。その不良生徒とは、ゲームセンターで会ったりしていたので、意外にも多少親しかったようだ。そのような不良生徒と学校でも話をするようになったため、教師からは生活態度の悪い生徒だと思われていたようだ。また、B自身はもともと怠惰な性格であるため、いろいろなことをよく怠けていた。これも教師からそのような扱いを受ける原因となったのであろう。

 さて、Bの中学1年のときの出来事はあと1つとなった。それは中学1年の終わりごろの話である。Bは、所属していた部活動をやめ、実質的に帰宅部となったのである。
 Bは部活動は彼なりに一生懸命やっていた。だが、一緒に入部した小学校高学年以来の遊び仲間(今更であるが、ゲームの好きなほうをC、運動の苦手なほうをDとしよう)は部活動にはあまり熱心には取り組んでいなかった。また、他にも部活に参加しない生徒が何人かいた。
 その部活動の顧問もBに言わせるとおかしな人物というか、納得がいかなかったらしい。生徒に自分のマッサージをさせたりしていたらしい。そんな理不尽さを感じつつも、Bは部活動に参加していた。
 1年の冬、3学期の期末テストの前日、Bが部活動に嫌気がさした決定的な出来事があった。テストの前日だというのに、まもなく大会があるので集合するようにと連絡があった。Bは選手でもないただの1年生だったので、集まらなくてもいいと思った。また、成績も上がってきて普段は勉強していなかったものの、テストの前日にははりきって勉強するようになっていた。
 そこで、Bは早く帰って明日にひかえたテストの対策をしようと下校すべく昇降口へ向かった。そこに、顧問が待ち構えていたのであった。
 さすがに顧問を無視して帰ることはできなかった。Bは仕方なくミーティングに行くことになった。そのときはBは特に何も主張することはなかったが、Bはこの出来事で顧問や部活がすっかり嫌になってしまったのであった。とんだ邪魔が入ったものの、テストのほうは順調に成績をのばすことができた。

 後日のミーティングで、顧問は部活動にほとんど来ない生徒に退部するよう促した。Bは部活動には一応参加していたが、ほぼ退部が決定した生徒と一緒に顧問の後をついて職員室に行き、退部届けをもらったのであった。その中にはCはいたが、Dはいなかった。
 Bは思い切ったことをなんなくやる一面も持っていて、退部届けをあっさりと提出した。退部第一組となったのである。その後も顧問は部活動に来ない生徒を次々と退部させた。Dもほどなく退部することになった。その後続々と退部が続いたようだが、Bほど真面目に取り組んでいた者が退部することはなかった。

 こうしてBの中学1年は終わったのであった。

2008年11月20日木曜日

友人Bの話~中学校編③

 さて、ここからは少し横道にそれるかもしれないが、中学校に入ってBにとっていくつか変化があったので、書いておこうと思う。
 中学校になると、中間テストや期末テストで学年順位などが出るようになる。Bは私の東京帝大時代の友人であるから、もちろんそれなりの成績を残してきた。
 Bから言わせると、はじめはたいしたことはなく、学力の低い中学で順位も2桁だったらしい。しかし、最初に期末テストの結果が出たとき、教師やクラスメイトのBへの見方が大きく変わったのは事実であった。それまでBは何もできない劣等生だとして扱われていたのだから。
 それからBは特に何かをしたわけではなかったが、着々と成績を上げていった。一年生の終わりには学年で5傑に定着するようになった。しかし、上位2名は当時は突出した存在であったようで、Bは中学2年まではその2人に勝つことはなかった。また、その上位2名は運動能力にも長け、生活態度も模範的であったので、教師からの評価はその2名のほうが圧倒的に高かった。Bは少し勉強ができる生意気な生徒であったのだろう。
 
 もうひとつ大きな変化があった。Bは奥手であったが、異性に対して興奮を覚えるようになったのである。それまでも女子に好意を持つことは何度かあったが、それとは全く別な性的興奮である。同じクラスのあまり顔は整ってはいないが、発育の早いZ(女子についてはZからはじめ、Y、X、W・・・とする)に対して特に興奮したようだ。授業中もZのほうを見ては股間を膨らませていたようである。ちなみにZに対しては性的な興味以外の感情は抱かなかったようである。Bは今後しばらくの間、このように好意と性的興奮を完全に分離していたようである。
 そして、クラスメイトから自慰行為の仕方を教えてもらい、自慰行為もするようになった。といっても、他の生徒のように本やビデオを使うことはなかった。妄想にふけっていたのであった。その対象がZであったことは言うまでもない。

2008年11月19日水曜日

物語の途中ですが②

 既にお知らせしたとおり、ここは回想録が中心となるので、中学校編でいったん終わる必要もなくなりました。他の話題は友人Bの話が終わったら、もしくは合間でも、ヌースリールのヌースを多少取り上げるくらいでしょうね。
 ということで、当面は1日1回友人Bの話を書こうかと思います。

物語の途中ですが

ブログを整理することになりましたので、お知らせいたします。

4つ体制で行きます。それぞれのネタふりは

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ブログの乱立でまんどくさかった人も多いでしょう。すまそ
これからも東大卒ニート、ばいおをよろしくお願いします。

2008年11月18日火曜日

友人Bの話~中学校編②

 まことに勝手ながら、友人Bの話シリーズは中学校でいったん切ろうと思います。といっても、中学校編自体がまだかなり書くことはありますが。ということで

 Bにとって中学時代、特に1,2年の時期はその後のBの人生を大きく左右することになる。中学1年でBは大きく変化する。今までは、スポーツが得意な少年達の仲間に無理に入ろうとしていたが、一転Bは「変わり者」路線へと大転換する。Bの中学校は不良生徒が多く、いじめられる危険性の高い学校であった。中にはその中学校を避けて他の中学校に行く生徒もいたくらいである。
 いじめられない方法は二つあった。一つはどこかの集団に属して、自己の存在を消すことであった。もう一つは、変わり者となり、人間関係を一切断ち切ることであった。もちろんBは意識的に後者を選んだわけではないが、中学校入学当初、いじめられやすかったBは、無意識のうちに生き残る方法をとったのであろう。
 Bはいつも奇妙な姿勢や歩き方をした。また、奇声をあげたりもした。周りの生徒からは、変わり者として面白がられた。だが、もちろん友達になろうと近づいてくるものなどいなかった。
 また、Bは徐々に部活を休み、ゲームセンターに行くようになった。ゲームセンターに行くことはBの中学校では禁止されていたが、他の中学校とはくらべものにならないくらい多くの生徒がゲームセンターに通っていた。ゲームが好きな自堕落な生徒と、不良生徒が多かった。だが、不思議とゲームセンターではどんな生徒もお互い同じように接していた。Bもその中の1人であった。ちなみにBがゲームセンターへ行くようになったのは、一緒に部活に入ったゲームが好きな少年の影響であった。

2008年11月16日日曜日

友人Bの話~中学校編

 Bは近くの中学校に入学した。同じ小学校からもかなりの人数が入学していたが、小学校のとき同じクラスでまた同じクラスになったのは1人だった。その生徒とはそれほど親しくもなかった。同じクラスには、小学校のとき同じクラスだったスポーツ少年達(手先となってBをいじめたが、その後はBと仲良くしていた)と同じスポーツ少年団にいた生徒が数名いて、Bも一緒にサッカーをしたことなどがあるので、その生徒達にくっついて行動した。
 まず、Bを驚かせたのは、他の小学校から来た生徒達が、異性について知識が豊富で、成人向け雑誌などを学校に持ってきていたことだ。実はそのような生徒は多くはなかったのだが、Bはたまたまそういう生徒と話すことになった。それは、Bがくっついていた生徒達が異性について詳しい生徒達と早く打ち解けたからであった。Bは後ろから、異性についての話しを興味深く聞いていた。もちろん詳しいといっても、実際に異性と交際したことがある生徒はいなかったのだが。
 入学当初は放課後は小学校の時同じクラスだった生徒を待ち、一緒に帰宅していた。そのうちに、中学校であるので、どこか部活動に所属しないといけないということで、どこにするか話し合っていた。Bが放課後一緒に帰宅していたのは主に2人だった。ひとりはゲームの好きな生徒で運動もそこそこ得意、もう1人はBと同じで運動が苦手であった。しかし、Bの中学校では文化部は軽蔑されていたので、文化部に入るという考えはなかった。結局、かなり激しいが、やったことのない競技の部に入部した。これはゲームとスポーツが好きな生徒が選んだもので、Bともう1人はどの部にも入りたくなかったので、真似ただけであった。
 厳しい練習であったが、Bは毎日部活に行った。同じクラスで同じ部活だった生徒とも親しくなった。一緒に入部した2人は、あまり練習に来なかったが、同じクラスの生徒が練習熱心だったため、Bはそちらの生徒達と一緒に部活に励んだ。
 しかし、それと同時に、Bはあからさまないじめではなかったが、同じクラスにいたはじめ一緒に行動していた生徒達からたびたび暴力を受けるようになった。同じ部活動の生徒からも暴力を受けた。小学校5年の時のようなものではなく、部活動のときなどは一緒に懸命に練習をしていて、仲間意識のようなものがあったので、それほど苦痛ではなかった。だが、小学5年から中学1年あたりのBは明らかにいじめられやすい傾向にあった。
 たまに辛いと思うこともあったが、そのような学校生活をBは一年間続けるのであった。